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高知家庭裁判所 昭和50年(家)1031号 審判 1982年8月30日

申立人 藤田芳子 外一名

相手方 山岡多恵 外三名

主文

一  被相続人亡藤田一馬の遺産を次のとおり分割する。

1  別紙目録1ないし4記載の遺産は相手方藤田秋宏の単独取得とする。

2  相手方藤田秋宏は申立人藤田芳子に対し金三八〇万七三二三円、同長喜子に対し金一九〇万三六六二円を支払え。

二  本件手続費用は、それぞれ支出した者の負担とする。

理由

第一本件申立ての趣旨

被相続人亡藤田一馬の遺産につき適正な分割を求める。

第二当裁判所の判断

本件記録に編綴された各関連の戸籍謄本、登記簿謄本、固定資産価格証明書、土地家屋課税補充台帳兼名寄帳、字図の写、登記申請書及びその付属書類、家庭裁判所調査官○○○○及び同○○○○作成の各調査報告書、申立人藤田芳子及び同長喜子作成の各書面、坂下信利(1ないし4回)、申立人藤田芳子(1、2回)、同長喜子(1、2回)、相手方藤田幹彦、同藤田秋宏(1、2、3回)、同山岡多恵に対する当裁判所の各審問の結果によれば、当裁判所の事実上及び法律上の判断は次のとおりである。

一  相続の開始

被相続人亡藤田一馬(以下「被相続人」という。)は、かねて家畜商や農業等を営んでいたが、昭和三五年四月一八日死亡したため、同日同人について相続が開始した。(以下これを「本件相続」という。)

二  相続人及び法定相続分

1  被相続人は、大正一三年九月一七日先妻の志摩於(明治四〇年二月二五日生)と婚姻し、両者の間には戸籍上六男三女が出生したが、うち三男一女は幼時に死亡し、戸籍上ではいずれも本件の相手方である長女の山岡多恵、四男の藤田幹彦、三女の藤田君子及び六男の藤田秋宏が生存している。

更に被相続人は、昭和二二年一〇月二一日妻の志摩於と死別したため、同二五年ごろ申立人藤田芳子と再婚(婚姻届は同二八年一二月八日)し、同三三年八月三〇日一旦協議離婚した後同三四年一一月六日同人と再び婚姻して、同人との間に出生した長女の申立人長喜子が生存している。(以下本件各当事者については「申立人芳子、同喜子、相手方多恵、同幹彦、同君子、同秋宏」という。)

2  被相続人と相手方多恵との間の父子関係の存否

相手方多恵は、戸籍上は被相続人とその妻志摩於との間の長女となつているが、真実は被相続人の次兄の亡藤田正次(明治三一年三月一〇日生、大正七年一〇月四日死亡)とその妻香於利との間の子として、父正次が死亡した後に出生し、母香於利も多恵の出生後直ちに実家に戻つたため、被相続人とその妻志摩於との間の長女として出生届がなされ、戸籍上にもその旨記載されるに至つたものである。したがつて真実は被相続人と相手方多恵との間に父子関係はなく、この事実は相手方多恵はもとより各相続人とも認めているから、結局相手方多恵は被相続人の相続人ではないものと認定するのが相当である。

3  相続人と法定相続分したがつて被相続人の相続人と各自の法定相続分は、妻である申立人芳子が三分の一、いずれも嫡出子である相手方幹彦、同君子、同秋宏及び申立人喜子が各六分の一の割合の法定相続分を有することになる。

三  分割の対象となる遺産の範囲

1  本件相続が開始した昭和三五年四月一八日当時における不動産登記簿上の被相続人所有名義の遺産は、別紙目録一の1ないし8記載のとおりである。(以下これを「1、2、3、5、6、7、8の土地及び4の家屋」という。)

2  1、2、3の土地及び4の家屋

1、2、3の土地及び4の家屋が本件相続開始当時被相続人の遺産であつたことは、各相続人間に争いがない。

尤も相手方幹彦は、1の土地の少なくとも3分の1は、被相続人が生前にその兄弟に譲渡していたから、その部分は遺産ではない旨供述するが、その事実を認めるに足りる証拠はない。

3  8の土地

8の土地は、被相続人が生前に他に譲渡したが所有権移転登記をせずに死亡したため、本件相続が開始した後、各相続人が合意のうえで、一旦相手方秋宏の名義にしたうえ、昭和四九年一二月一八日付で前田健に所有権移転登記をしたものであり、したがつて同土地は本件遺産分割の対象となる遺産に含まれないものであり、この事実については各相続人間に争いがない。

4  5、6、7の土地

申立人両名は、5、6、7の土地は本件相続開始当時遺産に属していた旨主張し、相手方幹彦は同人の固有財産であつた旨主張するので検討する。

もと被相続人の所有名義であつた別紙目録二記載の土地(以下「二の土地」という。)を昭和二五年ごろ他に売却して得た代金の一部で相手方幹彦が東京都内に店舗を買い受け、その残金で5、6、7の土地を買い受けたものであることは、各相続人間に争いがない。

そして相手方幹彦は、二の土地は同人が代金全額を支払つて買い受けたが、当時未成年であつたため被相続人の所有名義に登記していたものであるから、自己の所有である旨主張する。

しかし二の土地の登記簿謄本によれば、同土地は昭和二二年七月二日自作農創設特別措置法一六条の規定により被相続人が売渡しを受けて、同二五年一〇月一八日付で同人名義に所有権移転登記をしたものであり、昭和二二年当時相手方幹彦はまだ一七歳であつたことが明らかであり、また昭和四五年七月ごろに5、6、7の土地を他に売却した際に、その代金の中から金一五〇万円を申立人両名に渡したことは、各相続人間に争いがない。

そうすると相手方幹彦が供述するように、終戦後は被相続人の家畜商の仕事が不振であつたため、相手方幹彦が一五歳ごろから荷馬車による運搬や土工等をしてその収入を被相続人に渡して家族の生計の維持に努力しており、被相続人が二の土地を買い受けるについても相当程度の貢献をしたことが窺われるとしても、なお同土地は被相続人が買い受けたもので、同人の所有であつたものと認定するのが相当である。

したがつて昭和二五年ごろにこれを他に売却した(但しその所有権移転登記は昭和二九年五月二五日)代金の一部で買い受けた5、6、7の土地も、被相続人の遺産であつたものと認定するのが相当である。

四  遺産分割協議の成立の範囲

相手方幹彦及び同秋宏は、昭和四五年七月二二日ごろ被相続人の遺産全部について相続人間で分割の協議が成立した旨主張し、申立人両名は、5、6、7の土地についてのみ分割の協議が成立した旨主張するので検討する。

1  相手方幹彦及び同秋宏は、昭和四五年ごろ、相手方秋宏が東京都内で店舗を買い受けるため、5、6、7の土地を他に売却する必要があるとして、申立人両名をはじめ各相続人と遺産分割の協議をした末、同年七月二二日ごろ代金六〇〇万円でこれを真崎重広に売却することとし、その代金の中から金一五〇万円を申立人両名が受け取り、その残金から売買の仲介手数料等を差し引いた金員を相手方幹彦と同秋宏が受け取つたことは、各相続人間に争いがない。

2  その際申立人両名をはじめ相手方秋宏以外の各相続人は、民法九〇三条二項の規定による特別受益者であることの証明書に各自記名押印したものを相手方秋宏に交付し、その各証明書に基づいて、5、6、7の土地については昭和四五年七月二二日付で、同1、2、3、8の土地については同年一〇月一五日付で、いずれも昭和三五年四月一八日の相続を原因とする被相続人から相手方秋宏に対する各所有権移転登記がなされ、更に5、6、7の土地については、同四五年一〇月八日付で真崎重広に対し、同年七月一八日の売買を原因とする各所有権移転登記がなされた事実が認められる。

3  そして相手方幹彦及び同秋宏は、昭和四五年七月二二日ごろ、各相続人間で上記遺産分割の協議がなされた際、被相続人の遺産は全部相手方秋宏が取得して、同人が被相続人及び祖先の祭祀を主宰し、申立人両名は4の家屋に引き続き居住するとともに、申立人両名の生活費、申立人芳子の老後の扶養料、申立人喜子の学費及び結婚費用等については相手方幹彦が責任を持つて支給することで相続人全員が承諾したため、被相続人の遺産全部についての分割の協議が成立し、申立人両名は、相手方秋宏が被相続人の遺産全部を取得する代償として金一五〇万円を受領したものである旨供述する。

4  しかし他方では次の各事実が認められる。

(1) 申立人両名は、当時自ら耕作していた5、6、7の土地を他に売却することに強く反対していたのを、申立人芳子の弟の坂下信利らの説得によつて漸く承諾したものであること、

(2) 申立人両名は、当時4の家屋に居住してその敷地である1の土地を使用しており、また従来相手方幹彦と同居したり、同人から継続的に生活費の支給を受けたりしたことはなかつたから、単に申立人両名の今後の生活費等については相手方幹彦が責任を持つという口約束だけで、将来の生活についての明確な保障もないのに、被相続人の遺産全部を相手方秋宏が取得することを容易に承諾するものとは解し難いうえ、その後も相手方幹彦から申立人両名に対して生活費等が支給された形跡はないこと、

(3) 申立人両名の法定相続分からすれば、金一五〇万円は、被相続人の遺産全部を相手方秋宏に取得させる代償としては少な過ぎること、

以上の各事実からすれば、申立人両名が受け取つた上記金一五〇万円は、5、6、7の土地を相手方秋宏名義にして他に売却したことの代償としてであつて、被相続人の遺産全部を相手方秋宏に取得させる旨の協議分割をした代償としては解し難い。

5  したがつて昭和四五年七月二二日ごろに相続人間でなされた遺産の協議分割は、5、6、7の土地に関してのみであつて、1、2、3の土地及び4の家屋は含まれていないものと解されるから、上記各土地家屋に対する被相続人から相手方秋宏に対する各所有権移転登記は、その登記原因を欠くものとして無効であり、1、2、3の土地及び4の家屋は依然本件で分割の対象となる遺産として残つているものと認定するのが相当である。(以下これを「本件遺産」という。)

6  なお申立人喜子は、上記金一五〇万円は、当時5、6、7の土地を耕作して生活費にあてていた申立人両名が、同土地に対する離作料として受け取つたもので、被相続人の遺産の一部分割の代償として受け取つたものではない旨主張するが、当時申立人両名を代理して相手方幹彦らと交渉して、上記金員を受け取つた坂下信利の供述によれば上記金員は5、6、7の土地の協議分割の代償として受け取つたものと認められるうえ、申立人両名が上記遺産の協議分割の際に、上記金員は5、6、7の土地の離作料として受け取るもので、同土地についての分割の代償金の受領は後日に留保する旨の明確な意思表示をした形跡はないから、申立人喜子の上記主張は理由がない。

五  特別受益及び寄与分

1  相手方幹彦の特別受益及び寄与分

相手方幹彦は、前記三の4のとおり、昭和二五年ごろ被相続人の所有名義であつた二の土地を他に売却した代金の一部の交付を受けて東京都内に店舗を買い受けた事実が認められるけれども、その金額自体明らかでないうえ、相手方幹彦は高等小学校を卒業後一五歳ごろから一九歳ごろに上京するまでの間荷馬車による運搬や土工等をして働いて得た収入を被相続人に渡して、家族の生活の維持や被相続人が二の土地を買い受けるについて貢献していたことが窺われるから、相手方幹彦が被相続人から上記代金の一部の交付を受けたことをもつて民法九〇三条所定の持ち戻しの対象となる特別受益と認めること及び相手方幹彦の上記の貢献をもつて同人の寄与分を認めることは、いずれも相当でないものと解される。

2  相手方君子の特別受益

相手方君子は、昭和三三年ごろ鮮魚商を営む男性と事実上の結婚をした際、被相続人から、8の土地を他に売却した代金を結婚費用に充当して貰つた事実が認められるけれども、その金額自体明らかでないから、その後における本件遺産の価額の上昇の割合等を考慮すれば、上記の結婚費用をもつて民法九〇三条所定の持戻しの対象となる特別受益と認めることは相当でないものと解される。

3  申立人芳子の寄与分

申立人芳子は、昭和二五年ごろに被相続人と結婚した後、同人が余り働かなかつたため、農業や人夫等をして家族の生活の維持に貢献した事実が窺われるけれども、それによつて被相続人の財産が増加した形跡はないうえ、妻としての法定相続分が三分の一であることを考慮すれば、上記の貢献をもつて申立人芳子の寄与分と認めることは相当でないものと解される。

六  相続分の譲渡

1  相手方幹彦

相手方幹彦は、昭和五五年一一月一四日当裁判所の審問に対して、前記四の3のとおり、昭和四五年七月二二日ごろ相続人間で、被相続人の遺産は全部相手方秋宏が取得することで協議分割が終了した旨主張し、本件遺産を相手方秋宏が取得することに異議はないことが明らかである。

したがつて、相手方幹彦としては、本件遺産の分割に際しては、同人の相続分を全部相手方秋宏に譲渡する旨の意思表示をしているものと解するのが相当である。

2  相手方君子

相手方君子は、昭和五一年三月一八日奈良家庭裁判所の調査官の調査に対して、昭和三三年ごろ結婚の際に被相続人から結婚の仕度をして貰つたため、本件遺産の分割については全部相手方秋宏に委せて自らは遺産を取得する意思はない旨述べており、上記の意思表示は、相手方君子の相続分を全部相手方秋宏に譲渡する趣旨と解するのが相当である。

七  遺産の評価

1  本件相続が開始した昭和三五年四月一八日当時の本件遺産の固定資産価格証明書は既に廃棄されていて存在せず、かつ各相続人とも本件遺産の鑑定評価料を予納しないので、相続開始当時の同遺産の価額は明らかでない。

2  しかし、不動産鑑定士である参与員○○○の意見を考慮すれば、昭和五七年二月九日当時における本件遺産のうち1、2の土地の評価額は次のとおりであり、その価額は現在まで著しい変動はないものと解される。

(1) 1の土地は、一平方メートル当り金五万九〇〇〇円の割合による金七八〇万一五七〇円、

(2) 2の土地は、一平方メートル当り金四五〇〇円の割合による金三〇九万一五〇〇円、

3  また昭和五七年の固定資産価格証明書によれば、3の土地の評価額は金四四二〇円であるが、上記参与員○○○の意見を考慮すれば、3の土地付近の山林の価額は少なくとも一平方メートル当り金一〇〇円は下らないものと解されるから、結局3の土地の現在における評価額は少なくとも金四万八九〇〇円と解するのが相当である。

4  また昭和五五年の固定資産価格証明書によれば、4の家屋は、居宅が一〇万五一〇〇円、附属建物一の物置が金五七〇〇円、同二の便所が評価額なしの合計金一一万〇八〇〇円となつており、更に上記参与員○○○の意見を考慮すれば、4の家屋の現在における評価額は、上記居宅四六・二八平方メートル(約一四坪)が三・三平方メートル(一坪)当り金三万二〇〇〇円、上記物置六・六一平方メートル(約二坪)が三・三平方メートル(一坪)当り金一万六〇〇〇円の各割合による合計金四八万円と解するのが相当である。

5  したがつて、結局本件遺産全部の現在における評価額は合計金一一四二万一九七〇円となるものと解される。

八  各相続人の現実の取得分

本件遺産の現在における上記評価額に対して、前記五のとおり各相続人には特別受益も寄与分も認められないから、結局各相続人の現実の取得分は次のとおりとなる。

(1)  申立人芳子は1142万1970円×1/3 ≒ 380万7323円

(2)  申立人喜子は1142万1970円×1/6( = 2/3×1/4) ≒ 190万3662円

(3)  相手方秋宏は1142万1970円×3/6( = 2/3×1/4×3) ≒ 571万0985円

九  遺産の利用による収益と管理費用の負担等

昭和三五年四月一八日に本件相続が開始した後、申立人喜子が昭和五〇年ごろまでの間、同芳子が昭和五三年ごろまでの間、更に相手方秋宏が昭和五四年七月ごろから現在に至るまでの間、それぞれ4の家屋に居住してその敷地である一の土地を無償で使用しており、また申立人芳子が2の土地及び売却するまでは5、6、7、8の土地を無償で耕作して収穫を得て、いずれも本件遺産から利益を得ていたことが明らかである。しかしその反面では、同人らがそれぞれ四の家屋の修理費用を負担してその価値の維持に努めたり、また本件遺産に対する公租公課を、昭和四五年ごろまでは申立人芳子が、それ以後は相手方秋宏が負担していることが窺われるから、結局申立人芳子、同喜子及び相手方秋宏がそれぞれ本件遺産の利用によつて得た収益とその間に負担した同遺産の管理費用等とは互いに相殺するのが相当と解される。したがつて本件相続開始後における本件遺産の利用による収益とその管理に要した費用等に関しては、相続人相互間ではなんらの権利義務も存在しないものと認定するのが相当である。

一〇  各相続人の生活状況

1  申立人芳子

申立人芳子は、昭和二五年ごろ被相続人と結婚して申立人喜子が出生したが、結婚以来4の家屋に居住してその敷地である1の土地を使用し、2の土地及び売却するまでは5、6、7、8の土地を耕作する傍ら、人夫などもして生活を維持して来た。そして被相続人の死亡後もほぼ同様の生活をした後、昭和五三年ごろからは申立人喜子方に同居して現在に至つている。

2  申立人喜子

申立人喜子は、4の家屋で成長し、短期大学を卒業後昭和五一年三月一三日に婚姻して、現在では同人の肩書住所に夫と二人の子らと居住して、保育所の保母をして生活している。

3  相手方幹彦

相手方幹彦は、4の家屋で成長し、高等小学校を卒業後一五歳ごろから荷馬車による運搬や土工等をしたが、一七歳ごろに母と死別し、一九歳ごろに伯母を頼つて上京して食堂の手伝い等をした後、菓子や果物の店等を始め、昭和二八年三月九日婚姻して二人の子が出生した。しかし、やがて仕事に失敗して病気になり、現在ではタタシーの運転手をしているが、多額の負債もあつて経済的な余裕に乏しい状況にある。

4  相手方君子

相手方君子は、七歳ごろに母と死別し、一〇歳ごろから申立人芳子に監護養育されたが、中学校を卒業後は伯母を頼つて上京して働いた後、一九歳ごろに一旦事実上の結婚をしたが程なく離別した。その後二一歳ごろに再婚したが一〇年後に協議離婚し、現在では同人の肩書住所に居住して、会社員をして一人で生活しており、経済的な余裕に乏しい状況にある。

5  相手方秋宏

相手方秋宏は、三歳ごろに母と死別し、六歳ごろから申立人芳子に監護養育されたが、中学校を卒業後は上京して店員等をした後、再び高知市に戻つて昭和四七年二月一五日に婚姻し、運送店等で働いた。その後申立人芳子が同喜子方に移転して空き家になつたため、昭和五四年七月ごろから妻と二人の子とともに4の家屋に居住して、自ら貨物自動車を所有して臨時の運転手として砂利の運搬等に従事しているが、仕事が継続的になく負債もあるため、生活費を賄う程度の不安定な収入で、経済的な余裕に乏しい状況にある。

一一  本件遺産の状況

1  本件遺産のうち4の家屋には現在相手方秋宏が居住してその敷地である1の土地を使用しており、同人は今後もこれを継続する意向である。

2  2の土地は、1の土地の東南部の傾斜地にあり、現在では荒れ地のまま放置されている。

3  3の土地も山林のまま放置された状況にある。

一二  本件遺産の分割方法についての各相続人の希望

1  申立人芳子

申立人芳子は、昭和五三年ごろから娘の申立人喜子及びその家族らと同居して生活しているが、いずれは出身地である高知市に戻つて永住したい意向であり、かつ被相続人の妻として約一〇年間苦労したこと等を理由に、一次的には本件遺産のうち1の土地と4の家屋を取得することを希望している。

しかし二次的には、自己の出生地付近に居住する宅地と家屋を入手するための資金として約金五〇〇万円の代償の取得を希望している。

2  申立人喜子

申立人喜子は、長年被相続人の妻として苦労して来た申立人芳子が永住できるように、本件遺産のうちの1の土地と4の家屋を申立人芳子が取得することを強く希望している。

しかし上記土地家屋を申立人芳子が取得した場合に、価額の計算上申立人両名の相続分を超過する分については、申立人芳子には長年にわたる妻としての寄与分があること及び申立人両名とも支払能力がないことを理由に、他の相続人に代償を支払う債務を負担することはできない旨主張している。

3  相手方幹彦及び同秋宏

相手方幹彦及び同秋宏は、かねての主張どおり、昭和四五年七月二二日ごろに相続人間で成立した遺産分割の協議に従つて本件遺産は全部相手方秋宏が取得することを強く希望しており、その場合価額の計算上相手方幹彦、同君子及び同秋宏の各相続分を超過する分について申立人両名に代償を支払う債務を負担することについては、本件遺産の全部について既に協議分割が終つている以上、支払いの根拠もなく、また支払能力もないことを理由に拒否している。

更に1の土地及び4の家屋は、申立人芳子との結婚前から被相続人の所有であつたもので、相手方幹彦及び同秋宏ら兄弟が生まれ育つた場所としての愛着もあり、かつ相手方ら兄弟が被相続人や祖先の祭祀をするために集まる際にも必要であるうえ、これを申立人芳子らに取得させれば、たとえ相手方秋宏が無償で使用することにしても、同申立人らがこれを他に売却することも予想されるとして強く反対している。

4  相手方君子

相手方君子は、本件遺産の分割については全面的に相手方秋宏の意思に従う意向を示している。

一三  本件遺産の分割方法についての当裁判所の判断

1  以上の各事実、特に前記八ないし一二のような本件遺産の状況、各相続人の現実の取得分、生活状況及び本件遺産の分割方法についての希望その他一切の事情を総合して判断すれば、次のとおりの方法で本件遺産を分割するのが最も適当であると判断される。

即ち、相手方秋宏が本件遺産のうちの主要部分である4の家屋に居住してその敷地である1の土地を使用していて今後もこれを継続することが予想されるうえ、2、3の各土地はそれ自体利用価額や交換価値に乏しく、申立人両名もその取得を希望していないから、結局本件遺産は全部相手方秋宏に単独で取得させたうえ、その代償として同人から申立人両名に対し、その各現実の取得分に相当する金員を支払う債務を負担させることとする。

したがつて相手方秋宏は、前記八のとおり、申立人芳子に対しては本件遺産の評価額である金一一四二万一九七〇円の三分の一にあたる金三八〇万七三二三円を、また申立人芳子に対しては、その六分の一にあたる金一九〇万三六六二円を支払う義務があるものと認定するのが相当である。

一四  結論

以上の理由により、本件遺産の分割については、民法九〇六条及び家事審判規則一〇九条、一一〇条、四九条を適用して、主文一の(1)項のとおり定めるとともに、同(2)項のとおり債務負担の方法によつて相手方秋宏に各金員の支払いを命じることとし、なお本件審判及び調停に要した手続費用の負担につき家事審判法七条、非訟事件手続法二七条を適用して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 富永辰夫)

別紙目録<省略>

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